~まちのパン屋さんにできること~
パンの缶詰が誕生するまで
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パン・アキモトは、日本航空の無線通信士であった秋元社長のお父さんが戦後の混乱期に栃木・那須高原に戻り、秋元パン店を創業したのが始まりだ。
(先代が日本航空出身であった縁が、数十年を経て、スペースシャトルにパンの缶詰が持ち込まれるきっかけとなることは、動画を是非ご覧ください)
1976年、法政大学を卒業した秋元社長は、家族の説得もあり、新聞記者になる夢を断念し、パン職人を志し東京永福町での修行生活に入る。当時大学生がパン職人の見習いになることは珍しく、様々な苦労を重ねながらも幼い頃からパンに慣れ親しんだ経験が活かされ、修行先でも早々に頭角を現し、2年の修行を経て、家業に戻るのだった。(そんな秋元社長が、今では東京新聞の嘱託記者としても活動しているから、人生は面白い。)
アキモトパン店に入社後も職人としてアキモトの味を受け継ぐ中で、地元とのネットワークも 育み、先代が構築してきた様々な資産を損なうことなく、順調に事業を拡げてきた秋元社長だが、1995年1月の阪神淡路大震災をきっかけに、パンを通じて社会に貢献することが使命となる。
阪神淡路大震災の際に、被災者のために何かしたいという想いから神戸の教会を通じて、焼き立てパンを自社トラックに積み込み、現地に届ける活動を行う。 その活動の数日後に、パンを受け取った被災者の方から秋元社長にお礼の電話が入る。
「おいしいパンを届けてもらった、本当に感謝している。
しかし、全てを食べきることができず、半分を捨てざるを得なった。
生パンはおいしいが賞味期限がある。乾パンに変わる、保存性のあるおいしい生パンを作ってほしい。」
当時の技術や経験では難しいと一度は断るが、その要望は想像以上に強く、秋元社長は乾パンのように保存性があって、生パンのようにやわらかく、しっとりとしたパンの開発を決断する。後に大ヒットするパンの缶詰は、被災者の切実な声から生まれた商品なのだ。
パンの缶詰「PANCAN」はその商品名の通り、缶に入ったパンである。
開発当初は缶詰ではなく、ショックフリーズという手法でマイナス40度で固めて、真空パッキングすることで製品化を試みるが、失敗の連続であった。失敗が続く中で、秋元社長は偶然、近隣で農産加工物を缶詰加工している現場を目の当たりにしたことで、缶にパンを入れることを閃いたのだった。
地の利を活かし、その加工会社の協力を得て缶詰の加工を試みるが、缶に入れることから生じる殺菌の問題や加熱後のパンを缶に入れることによる味の劣化など、様々な壁がたちはだかる。
試行錯誤の中で一度の熱処理でパンを焼きつつ、容器も殺菌するという重大な仮説に辿り着いた秋元社長。社長の仮説は功を奏すが、容器にパンが付着してしまう、水分によりパンがふやけてしまうという問題が起きる。和紙のように水分を吸収し熱に強い紙で生地を包み、缶に入れ焼くことでこの問題を解決することができると考えた社長は、この特性を持つ紙を探し求め、日本全国の製紙メーカーに問い合わせるが、どこからも良い返事は得られなかった。しかし、社長自ら海外に渡り、企業秘密となる紙を探し出したのだった。
その後も保存食、備蓄食品に必要な無菌、無酸素、UVカットという3つの要素を実現するために、研究機関に足繁く通い、 開発から1年の月日を経てパンの缶詰「PANCAN」は誕生したのだった。
1976年、法政大学を卒業した秋元社長は、家族の説得もあり、新聞記者になる夢を断念し、パン職人を志し東京永福町での修行生活に入る。当時大学生がパン職人の見習いになることは珍しく、様々な苦労を重ねながらも幼い頃からパンに慣れ親しんだ経験が活かされ、修行先でも早々に頭角を現し、2年の修行を経て、家業に戻るのだった。(そんな秋元社長が、今では東京新聞の嘱託記者としても活動しているから、人生は面白い。)
アキモトパン店に入社後も職人としてアキモトの味を受け継ぐ中で、地元とのネットワークも 育み、先代が構築してきた様々な資産を損なうことなく、順調に事業を拡げてきた秋元社長だが、1995年1月の阪神淡路大震災をきっかけに、パンを通じて社会に貢献することが使命となる。
阪神淡路大震災の際に、被災者のために何かしたいという想いから神戸の教会を通じて、焼き立てパンを自社トラックに積み込み、現地に届ける活動を行う。 その活動の数日後に、パンを受け取った被災者の方から秋元社長にお礼の電話が入る。
「おいしいパンを届けてもらった、本当に感謝している。
しかし、全てを食べきることができず、半分を捨てざるを得なった。
生パンはおいしいが賞味期限がある。乾パンに変わる、保存性のあるおいしい生パンを作ってほしい。」
当時の技術や経験では難しいと一度は断るが、その要望は想像以上に強く、秋元社長は乾パンのように保存性があって、生パンのようにやわらかく、しっとりとしたパンの開発を決断する。後に大ヒットするパンの缶詰は、被災者の切実な声から生まれた商品なのだ。
パンの缶詰「PANCAN」はその商品名の通り、缶に入ったパンである。
開発当初は缶詰ではなく、ショックフリーズという手法でマイナス40度で固めて、真空パッキングすることで製品化を試みるが、失敗の連続であった。失敗が続く中で、秋元社長は偶然、近隣で農産加工物を缶詰加工している現場を目の当たりにしたことで、缶にパンを入れることを閃いたのだった。
地の利を活かし、その加工会社の協力を得て缶詰の加工を試みるが、缶に入れることから生じる殺菌の問題や加熱後のパンを缶に入れることによる味の劣化など、様々な壁がたちはだかる。
試行錯誤の中で一度の熱処理でパンを焼きつつ、容器も殺菌するという重大な仮説に辿り着いた秋元社長。社長の仮説は功を奏すが、容器にパンが付着してしまう、水分によりパンがふやけてしまうという問題が起きる。和紙のように水分を吸収し熱に強い紙で生地を包み、缶に入れ焼くことでこの問題を解決することができると考えた社長は、この特性を持つ紙を探し求め、日本全国の製紙メーカーに問い合わせるが、どこからも良い返事は得られなかった。しかし、社長自ら海外に渡り、企業秘密となる紙を探し出したのだった。
その後も保存食、備蓄食品に必要な無菌、無酸素、UVカットという3つの要素を実現するために、研究機関に足繁く通い、 開発から1年の月日を経てパンの缶詰「PANCAN」は誕生したのだった。
救缶鳥プロジェクト
~循環のサイクルを構築することで備蓄品の宿命を変え、途上国を救う~
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PANCAN発売開始当初は、その存在は知られなかった。しかし、新潟県中越地震の際に支援のために届けたパンの缶詰がメディアに取り上げられてから、その知名度は全国区となり、全国の自治体や企業の防災備蓄品として採用されるようになる。
その保存性の高さとおいしさから注文が殺到し、全国にアキモトのパンの缶詰「PANCAN」は広がった。
しかし、PANCANは保存食である。
食べられずに賞味期限を迎えることは、この商品の宿命でもある。賞味期限間近になると、次回の購入依頼と同時に処分の依頼もアキモトに届くようになる。 そこで秋元社長には、あるジレンマが生まれる。
「私たちは、捨てられる運命にあるパンを作っているのか?」
秋元社長の脳裏に浮かんだのが、学生時代に訪れたアジアの途上国における貧困や食糧の問題であった。
保存性のあるPANCAN
災害が起きなければ捨てられるPANCAN
そのPANCANを捨てられる前に回収し、途上国に送ることで救える命があるのではないか?
そんな可能性を考える中で秋元社長は大阪八尾市にあるNGO日本飢餓対策機構の活動と出会う。そして1缶の販売につき1円の寄付をする活動を始める。
これが救缶鳥プロジェクトの始まりだ。
これをきっかけに、寄付だけでなく備蓄されているPANCANの賞味期限が切れる半年前に回収を行うとともに、新しい商品に交換する。そして回収されたPANCANを貧困国に届けるという循環型支援事業を実行に移す。
開始当初は予想以上に物流コストがかかり持ち出しもあった。しかし、社長の信念は、協力者に徐々に届き、この循環のサイクルが構築された。
救缶鳥プロジェクト開始から18か月後の2011年3月の東日本大震災では、その支援と共感の力を存分に発揮することになる。
購入者が備蓄していたPANCANのパッケージに支援の声を書き込み、それが被災者の元に届く、この支援の輪は共感を呼ぶ。 栃木にあるパン・アキモトも被災したが、震災直後から支援のためにPANCANを買い求める長蛇の列が店先にできたことで、企業としてあるべき姿をより明確にする。
現在では、途上国にPANCANを届ける救缶鳥プロジェクトと日本国内に拠点を設け、備蓄品を保管するネットワークを構築することで独自に被災地への支援を可能にするWECANプロジェクトも推進している。
これらの功績が認められ9月9日は「救缶鳥の日」として日本記念日協会より記念日認定も受けているのだ。
その保存性の高さとおいしさから注文が殺到し、全国にアキモトのパンの缶詰「PANCAN」は広がった。
しかし、PANCANは保存食である。
食べられずに賞味期限を迎えることは、この商品の宿命でもある。賞味期限間近になると、次回の購入依頼と同時に処分の依頼もアキモトに届くようになる。 そこで秋元社長には、あるジレンマが生まれる。
「私たちは、捨てられる運命にあるパンを作っているのか?」
秋元社長の脳裏に浮かんだのが、学生時代に訪れたアジアの途上国における貧困や食糧の問題であった。
保存性のあるPANCAN
災害が起きなければ捨てられるPANCAN
そのPANCANを捨てられる前に回収し、途上国に送ることで救える命があるのではないか?
そんな可能性を考える中で秋元社長は大阪八尾市にあるNGO日本飢餓対策機構の活動と出会う。そして1缶の販売につき1円の寄付をする活動を始める。
これが救缶鳥プロジェクトの始まりだ。
これをきっかけに、寄付だけでなく備蓄されているPANCANの賞味期限が切れる半年前に回収を行うとともに、新しい商品に交換する。そして回収されたPANCANを貧困国に届けるという循環型支援事業を実行に移す。
開始当初は予想以上に物流コストがかかり持ち出しもあった。しかし、社長の信念は、協力者に徐々に届き、この循環のサイクルが構築された。
救缶鳥プロジェクト開始から18か月後の2011年3月の東日本大震災では、その支援と共感の力を存分に発揮することになる。
購入者が備蓄していたPANCANのパッケージに支援の声を書き込み、それが被災者の元に届く、この支援の輪は共感を呼ぶ。 栃木にあるパン・アキモトも被災したが、震災直後から支援のためにPANCANを買い求める長蛇の列が店先にできたことで、企業としてあるべき姿をより明確にする。
現在では、途上国にPANCANを届ける救缶鳥プロジェクトと日本国内に拠点を設け、備蓄品を保管するネットワークを構築することで独自に被災地への支援を可能にするWECANプロジェクトも推進している。
これらの功績が認められ9月9日は「救缶鳥の日」として日本記念日協会より記念日認定も受けているのだ。
一粒の想いは信念となり、人につながる
~次の世代に伝えたいこと~
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2017年アキモトの救缶鳥プロジェクトは、環境省主催の第5回グッドライフアワードにおいて環境大臣賞最優秀賞を受賞する。
それをきっかけに秋元社長は、2018年東京で行われたSDGs世界大会でスピーチをする機会を得る。
スピーチの準備に際し、改めてSDGsの理解を深めると、アキモトのこれまでの活動やビジョンがことごとく、 SDGsの理念と合致していることを再確認し、社員にも浸透していった。
アキモトのSDGsの取り組みの輪は、新たな出会いを生み、新商品「みどりの救缶鳥プラス」の誕生にもつながる。 新商品「みどりの救缶鳥プラス」は、バイオベンチャー企業ユーグレナとの共同開発で生まれた新しいパンの缶詰だ。
多様な栄養素を含む石垣産ユーグレナを配合することで、被災地や発展途上国などで栄養補給をサポートすることを目的としている。
賞味期限も5年保存を実現し、栄養価も従来品より高くなった注目の商品である。
商品開発のみならず、後進の育成にも熱心だ。
アジアにもおいしいパンを広げたい、日本の技術を伝えたいという創業者の想いから、現在ベトナムにも進出している。
ベトナムに店を開くだけではなく、ベトナムから企業研修生を受け入れ、一人前に育て上げ、研修生への出店支援を行い、出店後のサポートも社長の息子さん、自ら行う。
2019年8月には、研修卒業一期生がベトナムにGOCHIPAN(ゴチパン)をオープンし、創業来、受け継がれた味とサービスにこだわった、アキモト流のおもてなしを発信している。
秋元社長に最後にパン・アキモトの未来の姿をお聞きすると、 その答えは、パン・アキモトの名前の由来だった。
パン・アキモトの「パン」とはブレッドを意味する「パン」と
グローバルを意味する「パン」が社名の由来である。
「パンを通じて、世界の人々のおなかと希望を満たしたい。」
パン・アキモトは、その想いを未来の社員に受け継ぎながら夢と希望のパンを作り続けていく。
それをきっかけに秋元社長は、2018年東京で行われたSDGs世界大会でスピーチをする機会を得る。
スピーチの準備に際し、改めてSDGsの理解を深めると、アキモトのこれまでの活動やビジョンがことごとく、 SDGsの理念と合致していることを再確認し、社員にも浸透していった。
アキモトのSDGsの取り組みの輪は、新たな出会いを生み、新商品「みどりの救缶鳥プラス」の誕生にもつながる。 新商品「みどりの救缶鳥プラス」は、バイオベンチャー企業ユーグレナとの共同開発で生まれた新しいパンの缶詰だ。
多様な栄養素を含む石垣産ユーグレナを配合することで、被災地や発展途上国などで栄養補給をサポートすることを目的としている。
賞味期限も5年保存を実現し、栄養価も従来品より高くなった注目の商品である。
商品開発のみならず、後進の育成にも熱心だ。
アジアにもおいしいパンを広げたい、日本の技術を伝えたいという創業者の想いから、現在ベトナムにも進出している。
ベトナムに店を開くだけではなく、ベトナムから企業研修生を受け入れ、一人前に育て上げ、研修生への出店支援を行い、出店後のサポートも社長の息子さん、自ら行う。
2019年8月には、研修卒業一期生がベトナムにGOCHIPAN(ゴチパン)をオープンし、創業来、受け継がれた味とサービスにこだわった、アキモト流のおもてなしを発信している。
秋元社長に最後にパン・アキモトの未来の姿をお聞きすると、 その答えは、パン・アキモトの名前の由来だった。
パン・アキモトの「パン」とはブレッドを意味する「パン」と
グローバルを意味する「パン」が社名の由来である。
「パンを通じて、世界の人々のおなかと希望を満たしたい。」
パン・アキモトは、その想いを未来の社員に受け継ぎながら夢と希望のパンを作り続けていく。